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【青雲の大和】(14)入鹿と鎌足 (1/2ページ)
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灯火に照らされた三輪(みわ)の暗い表情を鎌足(かまたり)は、なおしばらくみつめていた。
三輪はなにもかもわかっているのだと思った。かつて三輪は摂政(せっしょう)の聖徳太子を奉戴(ほうたい)して反蘇我の活動をつづけていた時期がある、ということを鎌足は母からきかされていた。母の父、大伴咋(おおとものくい)がまだ存命中に三輪は、ここ住吉(すみのえ)の大伴邸に他の同志とともに忍んできたことがある、という話だった。
反蘇我(そが)に関してはいわば古参の闘士である。その三輪が山中にこもる戦術の無謀さがわからぬはずがないのである。
「なんとしても、その山ごもりの方針を変えていただきたい。でなければ、手の打ちようがありません」
鎌足はいった。
山背大兄(やましろのおおえ)としては、蘇我が斑鳩(いかるが)急襲の動きをみせるまえに皇族や大氏族にたいし、いわゆる多数派工作をやっておかなければならない。手を打つなら、その段階である。それがいざ焼き打ちに遭って、かろうじて逃げおおせてのちに、大伴などにたよってくるというのでは、はじめから勝負はついてしまっている。
「では、どうしろといわれるのか」
方針を変えていただきたい、という鎌足のことばの示唆するものにわずかな望みをつないで、三輪は訊(き)いてきた。
「くどいようですが、生駒(いこま)の山中におられては、ご支援をしようにも動きがとれませぬ。とにかく生駒からでていただきたい」