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【青雲の大和】(10)入鹿と鎌足 (1/2ページ)
出立(しゅったつ)の準備ができると、鎌足(かまたり)は仮眠をとっている子麻呂(こまろ)を起こさせ、夜明けとともに三島(みしま)の別業をでた。
淀川(よどがわ)までは、ゆるやかな坂道である。
「このまま飛鳥へもどられますか」
子麻呂がきいた。
飛鳥へ直行するなら、淀川の対岸へ船でわたり、河内(かわち)、山背(やましろ)の野を突っ切って奈良山(ならやま)をこえて行く手がある。馬ならこちらのほうがはやい。
「いや、まず住吉(すみのえ)へ行こう」
鎌足はいった。住吉の大伴(おおとも)邸である。
入鹿(いるか)が大伴抱きこみにかかっているということが、鎌足には気になっていた。
なにをねらっての調略か、それは知らない。しかし、飛鳥の朝廷を支える大氏族のうち、大伴さえ抱きこんでしまえば、いまの蘇我(そが)の力からすれば、あとは庭の小石を動かすように思いのままである。
巨勢(こせ)、葛城(かつらぎ)、境部(さかいべ)といったところは、もともと蘇我と同系であるか、分家筋にあたっている。とすれば、古来、天皇家に直属して天皇家をまもってきた古豪の大伴だけが、蘇我には問題なのである。
その大伴の当主、長徳(ながとこ)であるが、鎌足はかならずしも全幅の信頼をおいているわけではなかった。母の兄、つまり伯父にあたるが、権力をにぎる蘇我勢への距離の取り方に汲々(きゅうきゅう)としているところがある。蘇我から圧力がかかれば、はたして突っぱねることができるかどうか。
船で淀川をくだり、難波(なにわ)の官道を急いで住吉の大伴邸にはいると、まっさきに長徳にむかって問いただしたのはそのことだった。
「蘇我に加担しろとは、さて、入鹿はなにをいってきたのですか」
「つぎの大君に古人大兄(ふるひとのおおえ)をたてる、ということであった」
長徳はゆううつそうな渋面をつくっていった。