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【青雲の大和】(7)急襲 (1/2ページ)
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豊浦(とゆら)の宮の西門をでた部隊は、飛鳥川に沿った夜の道を行軍しはじめた。
冬十月の晦日(みそか)の空に月はない。雲のきれめに星がまたたくばかりで、あたりは漆黒(しっこく)の闇である。松明(たいまつ)を従者にもたせた蘇我(そが)の将が、騎乗して部隊を追いぬいていくときだけ、飛鳥川の暗い水面(みなも)が夜の底にうかびでた。
行軍のさきは、部隊のだれにもわからなかった。おそらく竹内(たけのうち)峠をこえていく官道にでて、難波(なにわ)にむかうのではないかと思われるが、討つべき相手がいかなる勢力であるかとなると、武官の端くれである網田(あみた)にも、まったく想像がつかなかった。
−−世の安寧をさまたげる元凶を絶つ。
と、総大将の巨勢徳太(こせのとこだ)はいった。しかし、蘇我全盛のいま、武力で蘇我または朝廷に刃向かう者が、いようとは思えないのである。
出発にさいして、心ならずも四十人ほどの兵をあずけられ、部隊長にされた網田だが、心情は複雑だった。
これが勅命であれば、宮廷の武官としては、とうぜんながら従わねばならないが、この動員は蘇我の大臣(おおおみ)がくだした命令である。
もし、大臣が蘇我の当主として私的に兵を動かしたのであれば、網田はその命(めい)に服することはない。
同僚の子麻呂(こまろ)とともに、中臣鎌足(なかとみのかまたり)の配下についている網田としては、鎌足の指示がないかぎり、蘇我のために働くのは、むしろ避けねばならないと思っている。