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【青雲の大和】(5)急襲 (1/2ページ)
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翌朝、子麻呂(こまろ)が三島(みしま)へむかったあと、皇居の門をまもる網田(あみた)ら下級の武官にたいし、緊急の動員令がくだった。
勅命ではない。執政権をにぎる蘇我(そが)の大臣(おおおみ)による命令である。指示は、
−−定められた日時までに豊浦(とゆら)の宮に集合せよ、
というものだった。
豊浦の宮は甘樫丘(あまかしのおか)の北側にあり、かつて小治田(おはりだ)の大君(推古天皇)がこの宮で治世に臨まれたことがある。蘇我の邸宅に近いことから、最近ではまるで蘇我の私有の施設のように使われていた。
定められた日時、つまり十月末日の日没までにあつまれという指示にしたがって、網田が豊浦の宮におもむくと、宮廷の庭は召集された者どもで埋まっていた。
蘇我の配下にある倭漢(やまとのあや)の輩(やから)が、いそがしく飛びまわって出頭してきた者をいくつかの部隊にわけている。
網田は皇居、朝堂(ちょうどう)などからあつめられた下級の官人の部隊にふりわけられた。ほかに雑多な職人のあつまりである伴部(ともべ)の部隊、蘇我勢の私兵の部隊などがそれぞれひとかたまりになって、指示を待っている。
皆、寒空をあおいで不安そうだった。動員されたものの、どこへ行かされるのか、だれもわからないのである。
「まさか蝦夷地(えぞち)じゃあるまいな」
網田のよこにいた男が、心配そうに声をかけてきた。
「それはない、安心しろ」
網田はいってやった。
「なぜ、わかる」
「蝦夷(えみし)とは、このところうまくいっているからな。蝦夷地はどこも鎮まっている。この飛鳥へもいま、ざっと千人ほどがきているという話だ」