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【わたしの失敗】児童文学作家・那須正幹さん(65)(1)

2007.11.27 03:43
このニュースのトピックスわたしの失敗

 ■担当とケンカ、そっと帰郷

 作家と編集者の関係は微妙なバランスの上に成り立っている。作家が駆け出しのころは、たいてい編集者が作家をリードする。やがて作品が売れてきて、作家の知名度が上がってくると編集者は徐々に作家に追従する形をとってくる。それが普通の力関係である。

 戦後の児童文学で最大のベストセラーといわれる「ズッコケ三人組」シリーズで、今や押しも押されもしない売れっ子作家になった那須にも、駆け出しの時代があった。

 昭和51年の暮れのことだ。那須は学研が発行する小学生向け学習雑誌「6年の学習」の同年4月号から連載を続けてきた「ずっこけ三銃士」が終了して、作品の単行本化を探っていた。

 当時、学研は創作の単行本を出していなかったので「どこかよそで出してくれるところはあるじゃろかと思っていたところ、東京のポプラ社から若い編集者がやってきたんですね」。

 その後「ズッコケ三人組」シリーズを世に知らしめる陰の立役者となった編集者、坂井宏先(現・ポプラ社社長)との、最初の出会いだった。

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 那須と坂井は当初から作家と編集者としての相性がピタリだったとはいい難い。どちらも強い個性の持ち主で、わが道をいくタイプだった。

 53年2月にシリーズ第1巻『それいけズッコケ三人組』が刊行されてからまもなく、年2回の刊行ペースが定まった。作家と編集者がベストセラーを走らせる両輪の存在となって、シリーズ第7巻『とびだせズッコケ事件記者』がでたころの話だ。2人は最初の激しいけんかをした。

 坂井が発掘した新人作家の出版記念会が東京で行われて、那須も呼ばれて出かけていった。会終了後のタクシーの中で、那須は乗り合わせた新人作家に、先輩作家としての意見を開帳した。「これからは1人の編集者とだけ付き合わずに、いろんな編集者と付きおうたほうがいいよ」

 これが失敗だった。助手席で聞いていた坂井がキレた。その後、新宿のバーで飲みながら「だいたいあんたは態度がデカ過ぎる。室生犀星は編集者を迎えるのに、玄関に水を打ち、玉砂利の目をそろえて、心して待っていたんだ」などといい始めた。

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 坂井の言葉にむっとした那須は「そこでグラスをたたきつけて飛び出したらかっこよかったんじゃけど」、その夜は都内にある坂井の自宅に泊めてもらうことになっていたので、飛び出せない。

 仕方なく、一緒に飲んでいたもう1人の作家と坂井の自宅へ赴き、ふとんにもぐり込んだが、やはり気が治まらない。

 寝ながら「もう坂井さんとの付き合いはやめよう、だからズッコケも終わりにしよう」と決めて翌朝早く、そっと静かに山口に帰った。

 新幹線で自宅に戻ってきたら、坂井が飛行機で追いかけてきた。家に上げて対面して、「わしはもう、ズッコケは書けない。これは坂井さんとの仕事だからね。ほかの編集者とではだめなんだ」と宣言したところ、坂井は、「心底反省して、それまでの人生で初めて」(坂井談)頭を下げて陳謝したという。

 「それですぐに気が変わったわけではなかったですが」、時がたつに連れて冷静さを取り戻し、シリーズ中最大の危機が回避されたのだった。=敬称略

 文 宝田茂樹

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【プロフィル】那須正幹

 なす・まさもと 昭和17年、広島県生まれ。3歳のときに母とともに被爆する。島根農科大学(現・島根大学)卒業。会社員生活をへて文筆活動に入る。文庫本を含めて総計2100万部を突破した「ズッコケ三人組」シリーズ(全50巻)で巌谷小波文芸賞。『さぎ師たちの空』で路傍の石文学賞、『お江戸の百太郎 乙松、宙に舞う』で日本児童文学者協会賞、『ズッコケ三人組のバック・トゥ・ザ・フューチャー』で野間児童文芸賞。山口県防府市在住。

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