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【アートな匙加減】画家(日本芸術院会員)絹谷幸二 「地」のリスクマネジメント

2009.11.6 03:13
このニュースのトピックス美術・芸術

 コロンビアの首都、ボゴタの飛行場の滑走路はいかにも長い。満員の飛行機を高度2800メートルの高地から空へ持ち上げるのは至難の業だ。私の乗った飛行機は滑走路を気が遠くなるほど(ものの数分だが)疾走し続ける。やっと持ち上がったといっても、ほとんどそのままの緩やかな助走曲線をとり、もう一度地上に引き戻されるのではないかと気が気ではない。やっと亀の首のように機首を上げ、一息も二息もついて空の人になる。

 先年、コロンビアを代表する画家で彫刻家のフェルナンド・ボテロさんの名を冠した美術コンクール「ボテロ賞」の選考委員として審査のため訪れたボゴタは、赤道近くの地で、一年中バラの花が咲き、6月の気候であることなど知るよしもなかった。四季というものは、時間軸で変わっていくものとばかり思っていたが、高度差でいとも簡単に変えられるものだと気づかされた。

 わずか500メートル上がれば菜の花が咲く春先となり、山を下ればバナナもブーゲンビリアも咲き誇る盛夏、熱帯となる。病原菌を仲介するハエやゴキブリ、ノミたちは、気圧か乾燥した空気か温度のせいで住みにくく、しかも美しい山の水が手近にある所だった。チリやメキシコシティーが、なぜかくも天空に近い地にその文化が栄えたのか。医療の行き渡らない時代のリスクマネジメントとして、先人はこのことを知り尽くしていたのだろう。旅はしてみるもの。本に書かれていない疑問が解ける。

 わが国の飛鳥、藤原、奈良、京都と移り変わる遷都も、実は人口増加に伴う糞尿(ふんにょう)の処理と疫病の関係に由来するところが大きかった、と思う。藤原京が、なぜかくも短命な都だったかは、その地が平坦(へいたん)に過ぎたのではないかとも思える。排水が思うに任せず、糞尿処理ができなかったのではないだろうか。平城の内裏から南大門にかけても、わずかに斜面が南に駆け下り、平安京でも洛北から南に向かって傾斜があり、十分な水とそれを流す下り坂が鎮座する。このことが都を1000年続けさせたのではないだろうか。

 当然、強大な大陸との地政学上の要害の地が奈良・京都であったことも否めないが、両者はやはり先人の深慮の結果であり、当時日本に航空写真があったのではないかと思えるほど狭い日本の中でも的を射た地勢である。鳥取の大山の麓(ふもと)には、妻木晩田(むきばんだ)遺跡が西の海岸線を見張っていたが、神話の出雲や博多のパワースポットは、以後の元寇などにみられるように、防衛の点では大陸からの危険に対峙(たいじ)していた。それゆえ、道元禅師の永平寺や弘法大師の高野山は、若狭や堺の港に近く、大陸からの情報をいち早く求められる所でありながら、少し退いた要害、修行のできる山上で危険をかわしている。

 伊勢には「心の宮」を置いて、大和からこれも未開の地への出口として、東方日のいずる富士に向かって、先取の布陣としたか。

 日本人の美を愛(め)でる心は、単にリスクマネジメントなしに守られてきたのではなく、時代や空間、心情変化を機敏にとらえ、平和な時代をむさぼらず、変化する海外事情と文化芸術、技術を必死でとらえ続けてきた賜(たまもの)だといえよう。(きぬたに こうじ)

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