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【写真劇場】「バウハウス・デッサウ展」4月26日スタート 先端技術と芸術 融合させたパイオニア (1/5ページ)

2008.4.24 17:11
このニュースのトピックス美術・芸術
【写真劇場】「バウハウス・デッサウ展」  「グロピウスの設計事務所」(1928年、エドムント・コライン撮影)。狭い箱の中で思い思いのポーズをとっている8人の男女。自由でユートピア的だったというバウハウスの雰囲気が伝わる【写真劇場】「バウハウス・デッサウ展」  「グロピウスの設計事務所」(1928年、エドムント・コライン撮影)。狭い箱の中で思い思いのポーズをとっている8人の男女。自由でユートピア的だったというバウハウスの雰囲気が伝わる

 90年前に創設されたドイツの造形芸術学校、バウハウス(1919〜33)。学校の歴史は14年間と短かったが、21世紀になった今も世界中のデザインや建築に大きな影響を与え続ける。4月26日から東京藝術大学大学美術館(東京・上野公園)で「バウハウス・デッサウ展」が開かれるのを前に、教育機関・バウハウスの魅力を紹介する。

 ■シーン1

 「バウ」はドイツ語で「建築」を意味し、バウハウスを訳すなら「建築の家」となる。

 創設者のヴァルター・グロピウスは設立宣言で、「あらゆる造形活動の最終目標は建築である」と、校名に込めた思い、デザインに対する姿勢を語っている。

 建築家として名をなしていた初代校長のグロピウスの呼びかけで集まった建築家、画家たちは、学校教育を通じ、先端技術と芸術の統一を目指した。造形活動は、日用品から家具、照明器具、絵画、写真、舞台美術、建築まで広範囲に及び、機能美を追求した作品・製品が次々と生み出された。

 バウハウスは、1919年にドイツ・ザクセンの2つの美術学校を統合し、ワイマール(ヴァイマール)に誕生した。25年にデッサウに移転、32年にはベルリンに移ったが、翌33年にナチスの圧力で自ら閉校した。

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【写真劇場】「バウハウス・デッサウ展」  「グロピウスの設計事務所」(1928年、エドムント・コライン撮影)。狭い箱の中で思い思いのポーズをとっている8人の男女。自由でユートピア的だったというバウハウスの雰囲気が伝わる
【写真劇場】「バウハウス・デッサウ展」  ヴァルター・グロピウス(Walter Gropius 1883〜1969年)。近代建築の四大巨匠(ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエ=バウハウス第3代校長)の一人に数えられるドイツの建築家。バウハウスを創設し、1919年から28年まで初代校長を務める。バウハウス閉校後は、米国に渡り、ハーバード大で教壇に立ったほか、ニューヨークの「パンナムビル」(1958年)などを設計した
【写真劇場】「バウハウス・デッサウ展」  抽象絵画の祖ヴァシリー・カンディンスキー(1866〜1944年)。故郷ロシアにいたときから色と形の性質を研究してきたカンディンスキーは、バウハウスでも色彩論を展開した
【写真劇場】「バウハウス・デッサウ展」  “色彩の詩人”パウル・クレー(1879〜1940年)。クレーは色彩論や形態論にのっとって、学生らに新しい挑戦をさせたという。こうした研究成果は織物工房でも応用され、クレーは優れた学生の作品をたびたび買い取ったそうだ
【写真劇場】「バウハウス・デッサウ展」  フランツ・エーリヒ「奥行き構成:ラスロ・モホイ=ナジの授業での演習(色面による空間化)」(1928年、後に本人加筆)。布や紙などさまざまな素材のコラージュで、みごとに空間化を表現している
【写真劇場】「バウハウス・デッサウ展」  抽象絵画の祖、カディンスキーの油彩「浮遊」(1927年、宇都宮美術館蔵)
【写真劇場】「バウハウス・デッサウ展」  色彩の詩人、クレーの水彩「尊大」(1926年、宇都宮美術館蔵)
【写真劇場】「バウハウス・デッサウ展」  ミース・ファン・デル・ローエがデザインした肘掛けいす「ヴァイセンホーフ・チェア」のプロトタイプ(1927年設計)。家具工房の指導者、マルセル・ブロイヤーが初めてスチールパイプのいすを作ったのは、バウハウスがヴァイマールからデッザウに移転した25年。続いて、ミースも鋼管いすに挑戦した。このプロトタイプを発展させた「エム・アール」シリーズは、彼の代表的ないすの一つとして、現在も販売されている
【写真劇場】「バウハウス・デッサウ展」  「アム・ホルンのバウハウス実験住宅」の居間タンス(1923年設計/2007年修復、復元)。当時学生で、後に教師になったマルセル・ブロイヤーがデザイン。使いやすいよう、パーツごとに目立つ色で塗り分けられている。実験住宅は、1923年にヴァイマールで開かれた「バウハウス展」の目玉だった。教師、学生が一丸となって設計・内装を手掛け、教育成果を内外に示したという
【写真劇場】「バウハウス・デッサウ展」  フリードリヒ・カール・エンゲマンによるテーブルランプ(1930年ごろ)。金属工房のエンゲマンが、個人的に利用するために作った1点のみの試作品。有名な「バウハウスランプ」(ユンカー&ヴァーゲンフェルト作、1923〜24年)がデザインのもとになっている。機能的でシンプルなフォルムは、大量生産を視野に入れているからこそ。今は当たり前に映るデザインにも、先人たちの知恵と努力が詰まっている
【写真劇場】「バウハウス・デッサウ展」  マルセル・ブロイヤー設計の「一戸建て住宅BAMBOS1の模型」(1927年設計)。グロピウスが設計し現在もデッサウに残る教員用住宅「マイスターハウス」に対し、こちらは準教員(ユンク・マイスター)用住宅として計画された。しかし、ナチス議員が建築費用の調達を阻止したため、完成には至らなかったという。住宅部分と工房部分をユニットで分けて組み合わせている。公と私の区別だろうか。全体としても端正で、今見てもモダンだ
【写真劇場】「バウハウス・デッサウ展」  水谷武彦「ラスロ・モホイ=ナジの授業での演習(素材体験)」(1927年デザイン、再制作したもの)。東京美術学校(現東京藝術大学)出身の水谷はバウハウスに留学した初めての日本人だった。モホイ=ナジの授業では、ガラスや木、金属など様々な材料を用いた立体構成の演習を実施し、空間的なバランス感覚を養った。また材料から論理的発想ができるよう、素材を触覚で理解する実験も行っていた。この作品は木の棒とゴムホースを使用。曲げた2本の木の弾力により、上張りがピンと固定する
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