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【人、瞬間(ひととき)】あの場所 デザイナー/プロデューサー 山本寛斎さん(64)(上) (1/2ページ)
ロシアに必要なのは、パンではない
1993年6月5日、モスクワ「赤の広場」。聖ワシリー寺院を背景に、100本以上のたいまつが燃え上がる。力強い「炎太鼓」が響き、次々と現れる勇壮な騎馬武者。鮮烈な装いで闊歩するロシア人モデルたち。
音、光、ファッション…前代未聞の幻想的なショーは、12万人の観衆を集めた。夜空を焦がす手筒花火を、エリツィン大統領(当時)も、隣接する大統領官邸から眺めていたという。
日露文化交流イベント「ハロー!ロシア」は、夢のように終わった。そして、山本寛斎の真骨頂「スーパーショー」はここから始まった。
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不惑を過ぎて、惑っていた、という。ファッションデザイナーとして既に名声は確立し、ビジネスも堅調。パリ、ニューヨーク、東京でショーを開いていた。が、いくら喝采(かつさい)をあびても、不完全燃焼の思いが残る。「ファッションビジネスには制約がありすぎる。もっと直接、お客さんと深い交流がしたい…」
ファッションの枠を超えたスペクタクルなショーを、観客と情熱を共有できるショーを、やってみたい。92年を最後に、パリコレの舞台を降りた。「ファッション界から見たら、“異端者”に映ったでしょう。周囲からはせっかくの地位を壊すな、お金にならないことはするな、と反対されましたけどね」
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ロシアとの出会いは、日本大使館からの講演依頼がきっかけだった。
「それまでは、ハリウッド映画、つまり冷戦構造の中で“悪”として描かれた姿が頭にあったんで、初めてナマで接してみると全く違うなあ、と。日本人を見下すようなところもなく、同じ目線で語りあえる。そんな人々に日本を知ってもらいたい。そのためには…と、一気に『ショーをやろう!』と火がついた」

