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【わたしの失敗】茶道裏千家前家元・千玄室さん(84)(1)
■甘えん坊な子供時代
「人生、ことごとく失敗の連続ですよ。でも、人間というのはミスを積み重ね自らの糧(かて)としていくもの。この年になって、“失敗は成功のもと”とはよくいったもんだと思うようになりました」
ワハハと豪快に笑う。「この年」と気軽に言うが、本年とって84歳、亥の年男。この1年も猪突(ちょとつ)猛進、一碗(わん)の茶を手に世界を駆けめぐった。5月には米国議会史上初の茶会を開催。茶道を通じ、「和」を重んじる日本の精神文化を紹介して注目を集めたばかりだ。
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2人の姉のあと、茶道裏千家第14代家元淡々斎(たんたんさい)の長男として生まれた。跡取りの誕生に家族は大喜びだったという。父の死去に伴い昭和39年に15代家元を襲名、平成9年には文化勲章を受章し、5年前に長男の千宗室・現家元にあとを譲った。まさに順風満帆…。
「いやいや。今でこそ健康でありがたいことですが、子供のころは弱々しくてね。で、いわゆるぼんぼん育ちでした。習い事も多くてねえ」と苦笑する。
「例えば、茂山さん(大蔵流狂言の茂山家)のところで仕舞を、能の金剛さん(金剛流)のところでは謡曲を、書道にも通っていました。2つ下の弟(出版社の淡交社創業者、故納屋嘉治氏)もいたんですが、私だけなんです。弟は何でも一緒にしたがって後をついてくるので困りました。家を継ぐということをちょっぴり自覚し始めたのは、小学校(京都師範付属小、現京都教育大付属小)6年のころ。それもね、大反省した出来事がありました」
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京都では6歳の6月6日に芸事を始めるとよいとする昔ながらの風習がある。千家では5歳で初めて袴(はかま)を付ける「着袴(ちゃっこ)の儀」を行い、6歳で茶道のけいこを始めたそうだ。
「といっても、まだ子供の遊びのようなもので、父も母もお茶のけいこをしろとはいわないのですよ。ちょうど北野天満宮のお献茶で父の手伝いをしたのですが、うまくできたとほめられまして。多少、調子に乗ったところもあったんでしょう。不思議に思っていたことを父に聞いたんです。『どうして僕にはお茶のけいこをつけてくれないの?』と。ところが父は黙って私の顔をみているだけで…」
その場にいづらくなり母の元に走った。一部始終を話すと、今度は母が「もう一度いってらっしゃい」という。
「そこで再度、父の所に行き尋ねました。すると初めて口を開き、目の前にいるのはだれかと聞くわけです。『父上です』と答えると、『うん、そや。けど別の人がいるよ』と。そのときに、あっと思いました。目からウロコが落ちたような気がしたのです。私が(茶道の)けいこを始めるならば父は先生であり、自分からお願いしますといわなければならなかった。甘やかされ、子供心にもおごりがあったのでしょう。あのときほど、父が大きく見えたことはありませんでした」
家元である父の大きさ、厳しさに触れた最初だった。数日後、父のもとに向かい「けいこを付けてください」と頭を下げた。
「そのとき初めて父がニコッと笑いました」
=敬称略
(文 山上直子)
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【プロフィル】千玄室
せん・げんしつ 大正12年、裏千家14代家元の長男として京都市に生まれる。同志社大学在学中に学徒出陣、戦後復学して昭和21年卒。父の死去に伴い39年、15代家元を継承。平成9年文化勲章受章、平成14年12月に家元を長男の千宗室氏に譲り、号を玄室に。茶道を通じた国際交流に努め14年日本国際連合協会会長に就任。17年から日本・国連親善大使。

