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【日本人とこころ】折口信夫と「はつ恋」(上)大和ひとり旅で抱かれ… (1/3ページ)

2009.7.5 07:46
このニュースのトピックス歴史・考古学
飛鳥坐神社にまつられている男性器をかたどった陽石=奈良県明日香村飛鳥坐神社にまつられている男性器をかたどった陽石=奈良県明日香村

 飛鳥川は川底の泥土が、あられもなくむき出しになっていた。泥土をえぐって、もうしわけなそうに水の流れがあった。雨になれば水かさも増すだろうが、万葉集にもたびたび登場する「飛鳥川」のイメージとは、ほど遠い。

 川沿いの、整備された広い道を水落遺跡のあるあたりで左に折れた。道はとたんにせばまり、両脇には農家や酒店、民家などが立ち並んでいる。

 平日の午後、初老のハイカーが目につくていどで、さすがに閑散としている。右手には飛鳥寺がある三差路を折れずに、まっすぐに行くと、飛鳥坐(あすかにいます)神社の鳥居に突きあたった。

 神南備山(かむなびやま)とは、神が鎮座する山や森のことで、出雲や奈良、京都など各地にある。明日香村にもある。学者も村の人も、この神社から1キロほどの雷丘(いかずちのおか)が神南備山と信じていた。げんに雷丘のまえには柿本人麻呂の有名な歌を刻んだ、こんな歌碑がある。

 大君は神にしませば 天雲の雷の上に廬(いほら)せるかも

 これに反論したのが折口信夫である。昭和17年に書かれた「古事記の空 古事記の山」には、甘樫丘(あまかしのおか)あたりが「飛鳥ノ神南備」であり、人麻呂もそこでこの名歌を詠んだ、とした。雷丘は「此は又あまりに小さ過ぎたけしきである」としりぞけている。

 たしかに雷丘は高さ20メートルほどしかない。山というよりは、字義通りの「丘」である。ここまでの折口の説はなかなか説得力がある。だが折口が言いたかったのは、次の一節である。

 「神南備の社は、平安の都になつて間もなく、目と耳の間に見える飛鳥の村の鳥形(とりがた)山に移つた。淳和天皇の御代である。今もある社の名は、飛鳥坐神社である」

 ことさら飛鳥坐神社という神社を強調している。理由は簡単である。この神社の神官、飛鳥家が折口の祖父、造酒介(みきのすけ)の実家だったからである。医師だった造酒介は他家から飛鳥家に養子に出され、そのうえで大阪・木津村の折口家に養子に出た。

 造酒介は貧しい人にも医療をほどこす献身的な医者で、地域の人にも親しまれた。折口が生まれたときには、すでに死んでいたが、折口は生涯、この祖父を尊敬していた。飛鳥家の出自であることに誇りを持っていた。

このニュースの写真

折口信夫の祖父、造酒介の実家が神官をつとめていた飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)=奈良県明日香村
飛鳥坐神社にまつられている男性器をかたどった陽石=奈良県明日香村
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