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【次代への名言】7月3日・聖徳太子
■「日出ずる処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致す、恙(つつが)なきや」(聖徳太子)
607年のきょう(旧暦)、小野妹子(おののいもこ)を長とする遣隋使(けんずいし)が旅立った。
『日本書紀』には「小野臣(おみ)妹子を大唐(もろこし)に遣(つかわ)す」という簡単な記述があるだけだが、受け入れた隋側の史書『隋書』によって、妹子が携えていた歴史的な国書の内容が明らかになった。冒頭はその一節。超大国・隋に対し、国家として対等の立場を内外に知らしめた−という説明はいうまでもないことだろう。
一つお断りを。『隋書』には差出人は男性名で「王、多利思比孤(たりしひこ)」とある。当時の国家元首は女帝の推古天皇だが、「皇太子」だった聖徳太子こそ、その人だ−という説を小欄は取っている。
さて、この国書を朗読させた第2代皇帝、煬帝(ようだい)は「無礼な。もう二度と聞きたくない」と不機嫌だった、と『隋書』にある。それでも、この国書を無視することはできず、「臣下につかわす」と記述することで体面を保った返書を答礼の使節とともに日本に送っている。
隋は建国まもなく、外征にも失敗しており、この絶好の時機を見計らって太子は対等外交の実をあげた−と史学者、坂本太郎は解説する。ただ、この不滅の功績を正史である『日本書紀』の編者が見逃していたのは返す返すも残念である。
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