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【土・日曜日に書く】大阪編集局次長・渡部裕明 清貧の思想生んだ「山の宗教」

2009.4.19 03:36

 ≪日本一の桜花に酔う≫

 先週末、気のおけない友人たちと吉野山まで遠出し、花見を楽しんだ。初夏を思わせる陽気で、お目当てのサクラは、いまが盛り。「一目(ひとめ)千本」といわれる雄大な眺めに、至福のひとときを過ごすことができた。

 吉野がサクラの名所となったのは古い。“修験道の祖”役小角(えんのおづぬ)が大峯山修行の中で感得(かんとく)した蔵王(ざおう)権現の像をサクラの木で刻んだとの伝承があり、サクラは霊木とされ、伐採が禁じられたのだという。

 山に入る修験者(山伏)が信仰の証しとして山麓(さんろく)でサクラの苗を買い求め、寄進・植樹する風習も始まり、増え続けたのである。

 江戸時代に誕生した園芸品種のソメイヨシノは少なく、約3万本といわれるほとんどがヤマザクラ。純白でかれんな花びらの群れを見ながら、本尊に開花を報告する「花供会(はなくえ)式」でにぎわう蔵王堂の境内から吉水(よしみず)神社、竹林院へと人ごみをかきわけて歩いた。

 それにしても、桜花の見事さとはうらはらに、吉野は不思議な土地である。歴史書をひもとけば、わが国の政治はこの地を母胎に紡ぎあげられてきたといっても過言でないことがわかる。

 ≪歴史の裏舞台の吉野≫

 天智天皇の10(671)年、近江大津宮を脱出した大海人(おおあまの)皇子(天武天皇)は飛鳥をへて吉野にこもり、翌年の「壬申の乱」に勝利した。藤原道長は寛弘4(1007)年、大峯山山上ケ岳に登り、娘で一条天皇の中宮彰子の懐妊を祈って藤原氏全盛の幕開けに成功している。

 文治元(1185)年、兄頼朝の追討を受けた源義経が潜伏したことは有名だし、建武3(1336)年、後醍醐天皇が京を抜け出し、室町幕府に対抗する吉野の朝廷(南朝)を開いたのもここであった。政権の中枢からほどよい距離を隔て、攻め込まれる恐れの少ない「要害の地」であることも大きいが、一方でだれもが、この地のもつ宗教的な霊力にすがったという点も見逃せない。

 吉野の地を象徴する宗教的存在といえば、先の役小角であろう。「役行者」の名で伝説的に語られるが、実在の人物である。奈良時代の正史『続(しょく)日本紀』文武天皇3(699)年5月24日条には、次のように書かれている。

 《役君(えんのきみ)小角を伊豆島に配流した。小角は葛城(かずらぎ)山(大阪府と奈良県境の山)の呪術者だったが、力をねたんだ弟子の韓国連広足(からくにのむらじひろたり)が讒言(ざんげん)したので流された。世間の伝えるところでは、小角は鬼神を使って水をくみ、薪(たきぎ)を採らせた》

 自然のもつ霊力を得るため、深山幽谷で苦しい修行を重ねる修行者は古くからいた。小角はそうしたひとりである一方で、獲得した霊力を人々に、社会へ還元することを目指した。その行為が時の政権には疎ましく映り、危険人物として追放されたのであろう。後世の人々は彼を「神変(じんぺん)大菩薩」と呼んでたたえ、“修験道の祖”の地位を与えたのである。

 ≪日本人の精神の背骨≫

 役小角が開いたこの「山の宗教」の系譜は、大峯山のほかにも列島各地にいまも生きている。東北の出羽三山(でわさんざん)(月山、羽黒山、湯殿山)に関東の富士山や大山(おおやま)。中部の木曽御岳(おんたけ)や北陸の立山、白山。近畿の伊吹山や中国の伯耆(ほうき)大山。四国の石鎚山に九州の英彦(ひこ)山、求菩提(くぼて)山などである。

 「霊力」などと強調すると、大方の現代人は非科学的で怪しげなカルト教団を想像するかもしれない。だが筆者は「山の宗教」こそが、日本人の精神の原点、背骨にあたるものを生んだと考えている。肉体と精神を厳しく鍛錬し、物質的豊かさや浪費をあえて拒否する、清貧の思想である。

 修験道とは「修行をして験力(げんりき)を得る」という意味である。これを神道の一種と呼ぶか、仏教の変形と呼ぶかは問題ではない。長い歴史の中で、日本の宗教が生み出したひとつの達成点であることだけは間違いない。その舞台となった吉野の地が平成16年、熊野や高野山とともに「紀伊山地の霊場と参詣(さんけい)道」として世界遺産に登録されたことは、その証明といっていいだろう。

 吉野といえば、西行法師(1118〜90年)にもふれねばなるまい。院の警護を担当する「北面の武士」だった西行は、風流の道に生きようと若くして出家し、吉野に隠棲(いんせい)し、生涯を旅と和歌に生きた。何よりサクラを愛した西行は、吉野や桜花を詠んだ多くの歌を残している。

 その中でも、彼の生涯を象徴するような次の一首が筆者はとりわけ好きである。

 《仏には桜の花をたてまつれ わが後の世を人とぶらはば》

 (わたなべ ひろあき)

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