MSN Japanのニュースサイトへようこそ。ここはニュース記事全文ページです。
[PR]

ニュース: 文化 皇室学術アートブックス囲碁将棋写真RSS feed

【現代(いま)に生きる時事新報】(18) (1/2ページ)

2008.12.10 08:26
明治40年3月の創刊25周年記念号は、200ページ以上の広告で埋まった明治40年3月の創刊25周年記念号は、200ページ以上の広告で埋まった

広告重視の福澤−社説で“広告のすゝめ”

 ≪1面まで全面広告≫

 「日本一の時事新報に広告する者は日本一の商売上手である」。明治20年代、こんな図々しくも斬新なコピーが登場したことがある。福澤諭吉は、それほど広告を重視していた。

 明治15(1882)年、福澤は時事新報を発刊したが、広告を販売と並ぶ経営の柱とした。

 1面の全面広告も時事が最初で、明治20年代以降になって各紙に定着した。最大の話題は、明治40年3月1日の創刊25周年記念特集号だった。実に224ページ。日本新聞紙上最大のページ数で、その9割が“記念広告”だった。

 「電通」の中興の祖、故吉田秀雄の名を冠した「吉田秀雄記念事業財団」は、東京・東新橋の電通本社ビルに広告資料展示館「アド・ミュージアム東京」を開いている。4年前、「明治期の広告展」を開催し、財団リポートとして『明治期の広告−近代広告の幕開け』を出した。

 この中で、上智大学名誉教授、春原昭彦(80)は「新聞広告事始め−ニュー・メディアとしての新聞と広告」と題して、“200ページ以上が広告で埋まった時事新報”を紹介している。広告は583件。「もっと集稿したが、第三種郵便の重量制限でこれ以上載せられない」と断ったほどだった。

 春原は「各界で活躍する慶応の卒業生が“福澤先生の新聞が25周年を迎えたご恩返し”と競って広告を出稿した−という逸話が残っている」と明かす。

 福澤は、広告業界でも開明的な仕事を数多く残した。広告の重要性を説き、門弟らに広告取次会社の設立を働きかけたほか、広告営業マンやコピーライターを育成し、時に自ら看板まで書いたという。

 明治16年10月16日の時事新報に掲載された社説「商人に告るの文」は、さしずめ“広告のすゝめ”論だった。まず「商業の繁昌は利を得るの基なり」と説き、「正直と熟練とかつその価の廉なるを世間に示す工夫」が必要として、こう指摘する。

このニュースの写真

明治40年3月の創刊25周年記念号は、200ページ以上の広告で埋まった
[PR]
[PR]
PR
PR

PR

イザ!SANSPO.COMZAKZAKFuji Sankei BusinessiSANKEI EXPRESS
Copyright 2008 The Sankei Shimbun & Sankei Digital
このページ上に表示されるニュースの見出しおよび記事内容、あるいはリンク先の記事内容は MSN およびマイクロソフトの見解を反映するものではありません。
掲載されている記事・写真などコンテンツの無断転載を禁じます。