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【土・日曜日に書く】ロンドン支局長・木村正人 日英兵士たちの和解事業
≪燃やされた日の丸≫
8月15日の終戦記念日が近づいてきた。この日は、英国では第二次世界大戦で日本に勝利した日として歴史に刻み込まれている。
戦争の恩讐(おんしゅう)を超え、翌16日にロンドン西部アクトンの仏教寺院・三輪精舎で、17日にはイングランド南東部ケント州のカンタベリー大聖堂で、恒例になった日英戦没者の慰霊祭が今年も営まれる。
大戦中、タイとビルマ(現ミャンマー)を結ぶ泰緬(たいめん)鉄道の建設に駆り立てられた英国人兵士ら連合国軍捕虜5万5000人に対する扱いは過酷を極め、1万人余が死亡した。1957年公開の英映画「戦場にかける橋」(デビッド・リーン監督)の題材になった。泰緬鉄道は「死の鉄道」と呼ばれ、英国では旧日本軍による残虐行為の代名詞にもなっている。
現在、日本の外交官が「懸案事項が見当たらないほど良好」と表現する日英関係だが、英国ではつい最近まで、元戦争捕虜や家族に強烈な反日感情が残っていた。98年に天皇、皇后両陛下が訪英され、バッキンガム宮殿に向かわれていた歓迎式典の途中、沿道で元捕虜たちが両陛下の馬車列に背を向けてブーイングをしたり、日の丸を燃やしたりした。
衝撃的なこの写真は世界中に流れた。戦後50年以上がたっても旧日本軍への怒りと憎しみを募らせ、日本の国旗に火をつけた元捕虜ジャック・カプラン氏(故人)がその後、日本の大の理解者に転じたことはしかし、日本ではあまり知られていないかもしれない。
≪解かれた怒りと憎しみ≫
「私はかねがね、旧日本兵になぜ日本軍が連合国軍の捕虜たちに過酷な体罰を加えたり、虫けら同然の扱いをしたりしたのか、尋ねてみたいと望んでいた。一度、私と会ってもらえないか」
故郷の三重県旧入鹿村(現熊野市紀和町)に英国人戦争捕虜たちの墓があることに気づいたのをきっかけに、日英間の和解事業にかかわるようになった恵子ホームズさん(60)=英国在住=に、こんな電話がかかってきた。ホームズさんが英国の元捕虜を訪ねて、日本に招待していることを知ったカプラン氏からだった。
戦後50年の95年から草の根平和交流計画の一環としてホームズさんの和解事業を支援していた日本政府は当初、両陛下のご訪問を狙って日の丸を焼き払った悪名高き元捕虜には拒絶反応を示したという。しかし、ホームズさんの熱意で2002年に、カプラン氏の日本訪問が実現した。
「日本の狂信的な愛国者に殺されるのではないかと心配した」と後に打ち明けたカプラン氏はこの旅で日本人の厚意と誠意に触れ、「戦争で見た旧日本軍とはまったく違う日本人がいた。私たちの共通の敵は戦争だった」と悟った。旧日本軍への怒りと憎しみが消えたカプラン氏は人が変わったように日英両国の友好に努め、04年、安らかな眠りについたという。
「怒りや憎しみを表に出すことが和解の第一歩。過去に日本が行ったことを認めて謝罪すると、元捕虜と家族はそれを受け入れることができる。お互いに心が軽くなって、日本人の心も癒やされる」とホームズさんは言う。
≪次の世代へ受け継ごう≫
在英日本大使館で先月、今年で12回目となる「平和と友好−夏の和解レセプション」が行われた。170人が参加、その半数以上が元捕虜と家族だったが、元捕虜の高齢化が進み、他界する人が年々増えた。日本側も事情は同じだ。
日本兵30万人のうち19万人が死んだビルマ戦線から生還、英国に在住して、旧英兵との和解に努めてきたビルマ作戦協会(旧英兵や日本人ら会員100人の日英友好団体)の前会長、平久保正男さんが今年3月、88歳で亡くなった。平久保さんは10年前、本紙の取材に対し、「死んだ戦友に申し訳ない思いで生きているのは英兵も同じだった」と語る一方で、「捕虜を虐待した覚えのない日本人までがなぜ謝らなければならないのか」と主張していた。
現在、同協会会長の昭子マクドナルドさん(57)は「父は平久保さんの戦友だった。謝ることが和解ではない。一人の人間として戦争に加わった立場を話し合い、理解することから和解は始まる。子供の世代に当たる私たちは大戦前にもさかのぼってビルマのことを考えていきたい」と語る。
ホームズさんによると、元捕虜の子供や孫の世代がインターネットで父や祖父が体験した戦争の記憶をたどり始めている。こうした追体験は一つ間違えると、反日感情を募らせる結果に陥る危うさをはらんでいる。「元捕虜の高齢化に伴って、どんどん戦争の風化も進んでいくと考えるのは大きな誤りだ」とホームズさんは和解事業を継続する大切さを訴えている。(きむら まさと)