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【聖地巡礼】京都・愛宕山(下)戦勝祈願の対象、光秀も参拝 (1/2ページ)

2008.5.16 08:03
このニュースのトピックス伝統芸能
山上にある愛宕神社の銅鳥居。奥に見えるのは神門山上にある愛宕神社の銅鳥居。奥に見えるのは神門

 「電気はきていますけど、水道とガスはないんですよ」

 標高924メートルの京都・愛宕(あたご)山(京都市右京区)山上にある愛宕神社の社務所で、神社の職員からこう聞かされた。驚くと同時に、この山に登る自分の心構えの甘さを見透かされたような気分になった。

 もちろん飲料水は持参していた。けれど、水道がない場所に踏み入れるのだとあらかじめわかっていれば、水は多めに用意していただろうし、大切に飲んでいただろう。

 神社に行くには麓(ふもと)から4キロ余の山道を歩くしかないとはいえ、麓のバス停から観光地の嵐山までは車で15分ほどの距離である。油断があった。というか、甘く見ていたといったほうがいいかもしれない。

 職員の言葉を聞いて、ここがまぎれもない聖地だと感じた。勝手な解釈かもしれないが、水道やガスが引かれていないというのは、人の手に侵されていない部分が残されているということなのだから。

                  ◆◇◆

 愛宕神社への参道を登っていくと、その歴史や由緒をうかがわせるものにいくつか出合う。最初の急坂を登り切った辺りに、根元付近で幹が割れた巨木がある。祠(ほこら)や小さな鳥居が置かれ、神木であることを示している。そこに「太郎坊権現」が祀(まつ)られていた。

 太郎坊とは愛宕山の天狗(てんぐ)。八木透編『京都愛宕山と火伏せの祈り』によれば、治承元(1177)年に起きた京都の半分を焼き尽くす火事が、愛宕の天狗によるものだと恐れられたという。

 だから火伏せの神の信仰なのかというと、それは近世になってかららしい。愛宕山は古くは神仏習合の山だった。勝軍(しょうぐん)地蔵(甲冑(かっちゅう)をまとい、剣をもった地蔵)が本地仏(ほんじぶつ)だったことから、戦勝祈願の対象として武家の信仰を集めた。有名なところでは、天正10(1582)年、明智光秀が本能寺の変の直前に愛宕山を参拝したとされる。

 神社まであと5キロ弱のところにある黒門も、神仏習合の名残だ。これは愛宕神社の神宮寺だった白雲寺の惣門(そうもん)。明治維新直後の神仏分離で白雲寺はなくなった。神社によると、このとき文献や史料も同時に散逸。1300年以上になるとみられる聖地としての愛宕山の歴史で江戸期以前ははっきりしないことが多いのだという。

このニュースの写真

山上にある愛宕神社の銅鳥居。奥に見えるのは神門
愛宕神社の参道。巨木が多い

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