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【試行私考 日本人解剖】第3章ルーツ 民族の形成(1) (1/3ページ)
このニュースのトピックス:歴史・考古学
■信仰、社会の違い超え「弥生化」
≪縄文の壁≫
渡来系弥生人と在来の縄文人はどのように接触したのだろうか。まず、日本列島での水田稲作の伝わり方から探ってみたい。
国立歴史民俗博物館が実施したAMS−炭素14年代測定法による調査では、水田稲作が最初に北部九州に伝えられたのは紀元前10世紀後半。その後、南関東に広まるまでに700〜800年の年月を要した。この「過渡期」に、新しい文化を持つ渡来系弥生人と伝統的な文化を守る縄文人という、異質な集団が同じ地域で並存していた。
四国・高知平野の紀元前800年ごろの田村遺跡(高知県南国市)では、縄文の祭りを行わない集団が突然現れ、水田稲作を開始。一方で、約25キロ西に位置する縄文以来の伝統的集落の居徳遺跡(同県土佐市)では、田村遺跡にわずかに遅れて水田稲作を始めたものの、土器には縄文の色彩を強く残していた。
小林青樹・国学院大栃木短大准教授は「在来縄文系集団が信仰や社会の違いを克服して“弥生人”になるためには相当の決心が必要だった。水田稲作が広まる過程には、精神や社会のあり方の面で目に見えない『縄文の壁』があった」と分析する。
≪受け継がれた祭祀≫
「縄文の壁」は弥生化の“障害”になったと同時に、新しい文化を消化して受け入れる時間を縄文人に与えたのかもしれない。
弥生文化は紀元前700年ごろ中四国全域に広まり、紀元前600年に大阪平野に到達する。
近畿で最古級の本格的弥生集落跡の田井中遺跡(大阪府八尾市)では、縄文系の「長原式土器」主体の居住区と、弥生系の「遠賀川(おんががわ)系土器」主体の居住区が出土。近畿ではこのような縄文文化と渡来系弥生文化の共存状態がこの年代から約100年間続いたとみられる。


