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【青雲の大和】(206)新羅の砦 (3/3ページ)
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あの蘇我馬子(うまこ)いらい、全盛期の蘇我勢が新羅と密接な関係にあったことは、よく知られている。新羅側は任那(みまな)問題などで武力を背景に要求をつきつけてくる大和の天皇家にたいして、ひんぱんに蘇我に賄賂(わいろ)をおくって、その矛先(ほこさき)をかわしてきた。文麻呂はそうした裏工作に立ち会い、人脈をつちかってきたというのである。
その後、どんな理由で文麻呂が吉野(よしの)の古人大兄(ふるひとのおおえ)の乱にくわわったのか、玄理は知らない。しかし、よくもまあこのような逆徒に才能をみいだして、鎌足(かまたり)が拾いあげたものだと嘆じざるをえない。
玄理を正使とする使節団を乗せた遣使船は、瀬戸内をぬけると筑紫(つくし)の那津(なのつ)(博多)に寄り、壱岐(いき)、対馬(つしま)をへて、十二月二十日すぎに新羅の王城に近い港にはいった。
おどろいたことに早朝の港に出迎えていたのは、女王廃位を画策している新羅の重臣、廉宗(れんそう)その者であった。