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【断 イタクラヨシコ】「キレイ」の恥ずかしさ
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近年、雑誌やテレビの生活情報番組など女性向けの媒体を、「キレイ」という言葉が席巻している。ひと頃は、女性誌のメーク指南記事には「ビューティー・レッスン」といったタイトルをよく見かけたが、昨今は「キレイをみがく」「キレイをつくる」などとなっている。この「キレイ」、本来は形容動詞であるこの言葉の、語幹だけを名詞として使う横紙破り的な用法もさることながら、なんとなくそのニュアンスに鼻白むというか、こっぱずかしい思いがするのは私だけだろうか。
私が抱く違和感は、この言葉の幼児っぽさと、そこからくる懐疑ゼロ、含羞ゼロの無邪気な陶酔にある。だって、いい年をしたNHKの女性アナウンサーがですよ、なんとも実に嬉しそうな笑顔で小首をかしげ、「さぁ、あなたのキレイを応援!」だなんて口にするのだ。そこには、甘く緩んだすっぽ抜け感、大げさに言えばカルチャー規模での幼児退行が感じられはしまいか。
「キレイ」が多用される事情はわからなくはない。「美しさ」「ビューティー」は敷居が高く、緊張を強いるし、「美」は抽象的。要するに、美しさを意味するもっとカジュアルな名詞が求められていたところへ、「キレイ」が導入され、一気に普及したのだろう。「美しさ」は無理でも、「キレイ」ならアプローチ可能に思え、夢を抱くことができる。「キレイ」は、こっぱずかしいだけでなく、婦女子に現実から目をそらさせる、ずるっこい言葉でもありはしないか。(文筆家)