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【断 呉智英】寺山修司の“疑惑”検証を
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五月四日で寺山修司没後二十五年。学会だのシンポジウムだの寺山研究が本格化するようだが、これを機にぜひ研究を深めていただきたい。特に寺山の盗作疑惑についてだ。田澤拓也『虚人 寺山修司伝』(文春文庫)、長尾三郎『虚構地獄 寺山修司』(講談社文庫)という入手しやすい本がありながら、なぜか寺山の盗作疑惑はほとんど論じられないからだ。両著に挙げられた例を見てみよう。
寺山の短歌は先人の俳句と酷似している。
・わが天使なるやも知れぬ小雀(すずめ)を 撃ちて硝煙嗅(か)ぎつつ帰る(寺山)
・わが天使なるやも知れず寒雀 (西東三鬼)
・向日葵(ひまわり)の下に饒舌(じょうぜつ)高きかな人を 訪わずば自己なき男(寺山)
・人を訪わずば自己なき男月見草 (中村草田男)
以上はほんの一例である。発覚当時は大スキャンダルになり、模倣小僧とか、寺山こそ自己なき男じゃないかとか、叩かれた。
短歌のほかにドラマでも、イヨネスコの『犀(さい)』に酷似した『鼠』という作品もある。犀と鼠を置き換えると同じ話だという。
パロディーという次元ではない。芥川龍之介が今昔物語を換骨奪胎したのとも違う。作家の中には不道徳な人や犯罪者もいる。純愛小説を書く好色漢とか、暴行事件を起こす抒情(じょじょう)詩人とか。それでも作家の人格と作品は別ものだ。作品に倫理批評をしても意味はない。だが盗作は作品の成立そのものに関わる不正だ。無頼派では済まされない。疑惑の検証が必須である。(評論家)