ニュース: 文化 RSS feed
平城京の外京域で交差点跡が初出土 道路設計、本体域と同形態
このニュースのトピックス:歴史・考古学
藤原氏の氏寺・興福寺などが建つ平城京の北東部に張り出した「外京(げきよう)」内にあたる奈良市西新在家町で、条坊(碁盤目状の都市区画)に基づいた道路交差点とみられる遺構が見つかり、元興寺文化財研究所(同市)が6日、発表した。外京域で交差点跡が出土したのは初めてで、道路区画の設計形態は平城京の本体域とほぼ変わらなかったことが判明。当時の外京域の形状を知るための貴重な成果となった。
外京域は南北五条(2・1キロ)、東西三坊(1・6キロ)の範囲とされる。今回はマンション建設に伴い、約525平方メートルを調査。その結果、側溝に挟まれた東西道路の跡が約30メートル、南北道路の跡が約20メートル出土し、交差していた。
側溝間の道路幅はいずれも約6メートル。東西道路は奈良時代の「二条条間南小路」、南北道路は「東六坊坊間西小路」とみられ、近くで出土している道路跡との間隔や位置関係が、本体域の条坊設計とほぼ一致した。
道路設計は奈良時代初めに廃止された単位(大尺)でなく、以降の単位(小尺)で行われていることから、整備時期は奈良初期以降の可能性が高く、10世紀前半ごろに廃絶したとみられるという。
また、交差点跡の南東からは、住宅として利用された奈良時代の小規模な掘っ立て柱建物跡が出土。平安〜江戸時代の建物跡はほぼ見つからず、現在は中心市街地に当たる発掘現場周辺が、古くは街外れだったことも判明した。
現地説明会は8日午前10時から。近鉄奈良駅から北西へ徒歩約10分。
舘野和己・奈良女子大教授(古代史)の話「初めて交差点跡が確認され、外京域での条坊制を具体的に考える上で手がかりとなる発見。中世の奈良では、この辺りはあまり建物がなかったこともうかがえる」

