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【土・日曜日に書く】論説委員・長辻象平 双葉から育てたい知の創造
≪画期的な新万能細胞≫
京大の山中伸弥教授のグループが作製した「iPS(人工多能性幹)細胞」が大変な評判である。
なぜ、国際的な注目を集めるのか。それはiPS細胞が「万能細胞」であるからだ。
万能細胞は培養すると、神経や筋肉など、体のあらゆる細胞や組織に分化していく能力を持っている。非常に有用な細胞だ。
では「ES(胚(はい)性幹)細胞」とどう違うのか。ES細胞も万能細胞であったはずだ。
同じ万能細胞でも、iPS細胞とES細胞は材料が違う。ES細胞は受精卵を壊して作るので、ヒトのES細胞を得ようとすると人命の萌芽(ほうが)を損なうことになる。
そこに倫理上の規制が強く働くことになり、研究もさまざまな制限を受けていた。
これに対して、山中教授らのiPS細胞は、万能細胞でありながら、成人の皮膚細胞から作られるので、受精卵は必要ない。
自分の体の細胞をもとにして組織が作られるなら、再生医療の理想である。移植に伴う免疫拒絶反応が起きないからだ。事故による脊髄(せきずい)損傷患者の治療などへの期待が高まる。
そのうえ、従来の方法ならクローン人間の元であるクローン胚を作り、それをES細胞に変えなければならず、これが技術上の壁になっていた。韓国・ソウル大学の論文捏造(ねつぞう)は、この難関を突破したという内容だったのだ。
山中教授らのiPS細胞は(1)受精卵を使わずに(2)自分自身の万能細胞を作り出すという、二重の意味で世界を驚かせる画期的な成果であったのだ。
≪世界一を目指す気質≫
米国でも同様の研究が行われていて、論文が同時発表されると、ブッシュ大統領が反応した。
山中教授らの研究は、米国よりも一歩進んだ内容である。それほどの成果が日本発の独創的な研究から芽生えたのだ。
山中教授がすぐれた研究者であることは当然だが、それ以上に幸運にも恵まれたことで、今回の成果につながったと思われる。
その理由は、世界の大多数の研究者がクローンES細胞作りに取り組んでいる流れに反して、皮膚という体細胞を利用する変則的な道を選んだにもかかわらず、成功したからだ。
研究には王道があって、大部分の成功は、そこを通ることで手に入る。山中教授のような“へそ曲がり”な研究は普通、1000のうち999までが失敗する。
だが、1000に1つの成功は世界中が予想もしないブレークスルーをもたらすことがある。研究とはそうしたものである。
大学は、野心的な挑戦も許容する懐の深さを持つ研究の場であったはずだ。とくに昔の京都大学には気概があった。
「東大は、日本一の先生方が日本一の研究をする所。したがって京大は日本一ではない。ならばどうするか。世界一を目指そうではないか」
新入生をそう鼓舞していたものである。京大のノーベル賞の多さも、この精神と無縁ではないはずだ。しかし、その陰には東大では考えられないほどの、はぐれ者が出ているはずである。
≪花が咲いての大助成≫
言いたいのは、この十数年来、日本の科学研究が小粒になってきていることだ。国の科学技術振興策で、若手研究者は気の毒な状況に置かれている。
5年ほどのうちに成果を上げられなければ、正規の研究職につけないような制度になっている。
失敗するかもしれない野心的な研究には誰も挑戦しない。やれば確実に成果の出ることが、研究前から分かっているテーマを選ぶようになる。これではイノベーションは望めない。教授にしても事情はさほど変わらない。短期に社会に役立つ成果が出なければ、研究費が打ち切られる。
国は、研究者の間に競争原理を導入し、活性化を図ろうとしているのだが、そこにあるのは、社会の仕組みも文化も歴史も異なる米国の研究システムの表層的な模倣に過ぎない。
こうした逆風が吹きすさぶ研究砂漠のような環境で、よくぞiPS細胞の研究が枯れずに育ったものである。
ヒトiPS細胞の作製が成功すると、国はにわかに研究支援体制の整備や、研究費の大量投入を言い始めた。あまりに遅い。
研究を樹木にたとえればiPS細胞研究は、大きく育って見事な花が咲いた段階だ。果実がなるのは見えている。
手を添えるなら、双葉の段階からである。現在の科学技術振興策は双葉の畑をローラーで固めている観もある。大発見につながる研究の芽を枯らしてはならない。(ながつじ しょうへい)