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【旬の民俗学】霜枯れ 農村に思いはせ
11月を「霜月」という。これは、旧暦(陰暦)にしたがってのことだから、現行の暦では1カ月ほどずれることになる。
旧暦の10、11、12月を「霜枯れ三月(みつき)」ともいった。太陽光線が弱まり、万物の生命力が低下する。とくに、植物の生命力が低下する。霜をかぶると、一夜にして、しおれて枯れる植物は少なくない。したがって、それまでに稲を刈りとらなくてはならないし、サトイモやサツマイモ、ダイコンなども掘りだしておかなくてはならない。多くの農家では、それをすませた「霜枯れ三月」が農閑期となるのである。
農村での最大の行事が「霜月まつり」であるのも、農作業の多忙期を過ごした直後を選んでのことであった。しかし、日本の農業を一元化して語ってはならない。日本列島は、南北3000キロ以上にわたる。南北の距離だけからすると、アメリカや中国のそれに匹敵する。降霜のはじめも、西南日本と東北日本では1カ月もの違いがある。そればかりか、薩南諸島や沖縄諸島のように霜の降らない地方もあるのだ。
沖縄の島々で、「漁(あさ)る」という言葉にでくわして驚いたことがある。必要に応じてサツマイモを掘りだすことを、漁るというのである。霜が降らないから芋蔓(づる)が枯れることがない。1年でも2年でも芋をつける間はそのままにしておけばよい。一度に芋を掘りだす必然はなく、いうなれば畑を貯蔵庫にしておけばよいのだ。鍬(くわ)で掘ることもない。鉄製の串(くし)か箆(へら)で間にあう。この簡単な芋掘り具を、たしかアサンガニ(漁り鉄具)といっていた。
そのときから、日本の伝統的な農業形態は、まず有霜地帯と無霜地帯に分けて考えるべきであろう、と思うようになった。実際に農業に携わってみるとわかるが、霜は旱魃(かんばつ)とともに根こそぎの災害をもたらす。その意味では恐ろしく、いかんとも抗しがたい気象なのだ。
現在、日本人の多くが農業に無関心を装っている。それは、いたしかたないとしても、時折にその時期の農村の風景を思いうかべるぐらいはしたいもの。いま、まさに霜枯れがはじまっているのである。(民俗学者・神崎宣武)

