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飛鳥時代の大型建物跡出土 斉明天皇・両槻宮の石垣再利用
このニュースのトピックス:歴史・考古学
天武天皇の皇子(みこ)、新(にい)田部(たべの)皇子(生年不明〜735年)の邸宅跡との説もある奈良県明日香村の竹田遺跡で、大型建物跡などが見つかり4日、村教委が発表した。建物の柱を支える石も出土し、石材は新田部皇子の祖母・斉明天皇が「両(ふた)槻(つきの)宮」を囲むために設けたとされる酒船石遺跡(同村)の石垣の一部を再利用していたことも判明。出土した建物跡が、新田部皇子ら皇族クラスの建物だった可能性がさらに高まった。
同遺跡は、当時の都・飛鳥浄(きよ)御(み)原(はらの)宮を見下ろす丘陵の一等地に位置。大型建物跡は、南北4・8メートル、東西12メートル分を検出し、東西方向にさらに伸びるという。柱を立てるために掘られた穴は、一辺1メートル近くで、宮殿クラスの規模だった。
柱穴には、一辺30センチ前後のレンガ状に加工した砂岩が数個ずつ埋められていた。砂岩は、同遺跡の約600メートル南にある酒船石遺跡の石垣から大量に出土した石材と、形や大きさがほぼ一致。日本書紀では「石垣は造った途端に崩れた」と記されており、大型建物を建てる際に、すでに崩壊した石垣の一部を柱の支え石として用いた可能性が高まった。
新田部皇子は、奈良時代の政変「長屋王の変」(729年)で、長屋王の罪を糾弾。万葉集に詠まれた歌人・柿本人麻呂の和歌の内容から、幼少期の邸宅は竹田遺跡一帯にあったとされている。
8日午後1時から同村川原の村中央公民館で遺跡報告会、9日午前10時から現地見学会がある。問い合わせは村教委((電)0744・54・5600)。
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