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【土・日曜日に書く】ロンドン支局長・木村正人 万能細胞に思う日本的快挙
≪クローン羊研究は断念≫
インド洋での補給活動を中断した海上自衛隊。欧米諸国を唖然(あぜん)とさせた安倍晋三前首相の辞任。大連立で党内の反発にあって辞意を表明したかと思うと撤回した民主党の小沢一郎代表…。
ロンドンで日本発のニュースを見つめていると、本紙のロングラン連載「やばいぞ日本」どころか、「日本はもう終わってしまった」との思いが募る。第一、考え方があまりに内向き過ぎる。世界がどう見るかなんてことにはお構いなしだ。しかし、「日本は死んでいなかった」と感激するニュースに久しぶりにぶつかった。
11月17日。土曜の朝、起きて英各紙の記事をネットでチェックする。ニュースサイトの充実度で英国は日本よりはるかに進んでいる。伝統のブロード・シートを守り抜く朝刊高級紙デーリー・テレグラフのサイトを開くと、「ドリーを生んだウィルマット博士、クローン研究を断念」という大見出しが飛び込んできた。
1997年にクローン羊ドリーの誕生を公表して世界を驚かせた英エディンバラ大学のイアン・ウィルマット博士との単独インタビューだった。京都大再生医科学研究所の山中伸弥教授がマウスの皮膚細胞から胚(はい)性幹(ES)細胞のような細胞をつくることに成功したため、ヒトクローン胚の研究を断念するという。
ネットで山中教授の研究室のホームページを見つけ出し、電話を入れた。日本は土曜の夕方だったが、幸運にも山中教授が電話口に出た。テレグラフ紙の報道内容を伝え、「ウィルマット博士は自ら生み出したクローン研究をやめるとまで言っている。何があったのか」と取材を申し込んだ。
≪仰天の電話取材≫
山中教授によると、細胞にはすべての設計図が盛り込まれているが、遺伝子によってその一部だけが働いている。4種類の遺伝子を「ベクター」と呼ばれる運び屋ウイルスでマウスの皮膚細胞に組み込んでやることで、ES細胞と類似した「万能細胞」をつくり出すのに昨年夏、成功したという。
受精卵から樹立されるES細胞はさまざまな臓器や組織に成長する万能性を備えているため、「万能細胞」と呼ばれている。
記者「新たな万能細胞とES細胞はどう違うのか」
教授「実はES細胞とまったく同じだ」
記者「ではマウスの皮膚細胞からES細胞をつくるのに成功したということか」
教授「ES細胞のEは胚という意味だからES細胞とは異なるが、(機能的には)同じ万能細胞をつくるのに人間の皮膚でも成功した。米科学誌セルで20日に発表されるので、ウィルマット博士は事前に知ったのだと思う」
驚きのあまり椅子(いす)からひっくり返りそうになった。「記事にしていいか」と確認すると、「人間の皮膚で成功したことはセルの解禁時間のアメリカ東部時間20日正午まで待ってほしい」と教授は念を押した。礼を言って電話を切り、東京本社に至急電を入れたのは言うまでもない。
≪生命倫理に反しない≫
ES細胞の研究は、拒絶反応がない移植用細胞の作成やアルツハイマー病治療などで期待されている。しかし、「生命の芽生え」であるヒトの受精卵を使うことへの倫理的な批判、不妊治療で生じる受精卵の数が不足していることなど致命的な問題を抱えている。
ドリーを生んだ英国では、未受精卵からES細胞をつくるヒトクローン胚の研究が進められ、ウィルマット博士もその一人だった。英政府機関は9月、核を除去した動物の卵にヒトの体細胞の核を移植するヒト性融合胚の作成を世界で初めて承認した。こうした細胞技術に関し日本では厳しい規制がかけられている。日本の生命倫理が生み出したともいえる山中教授の研究は、ドリー誕生以来、世界が狂奔してきたES細胞研究を根底から覆す可能性を秘めている。20日が待ち遠しかった。
当日、新たな万能細胞樹立は、山中教授のチームだけでなく、米ウィスコンシン大チームの成果もサイエンス誌に掲載された。米ホワイトハウスは「ブッシュ大統領は重要な進展を歓迎している」との声明を発表。英BBC放送も「再生医療にとって飛躍的な進歩」と評価し、ローマ法王庁(バチカン)の生命科学アカデミー所長は「人(受精卵)を殺さず、たくさんの病気を治すことにつながる重要な発見だ」と称賛した。
山中教授は45歳、記者と同じ年だ。英ケンブリッジ大学に留学中の知人から電子メールが届いた。知人は山中教授と中学・高校の同級生で、教授を「同窓会ではただの気さくなおじさん」と評した。そう聞いてまたうれしくなった。(きむら まさと)