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【わたしの失敗】作家・桐島洋子さん(70)(2)
■戦場の高揚感で得意顔
ベトナム戦争真っただ中の昭和42年、従軍記者となった桐島は軍服をまとい、米軍機がばらまいた戦闘食糧を兵士とともにむさぼり、夜は塹壕(ざんごう)で身を休める生活を送っていた。
時々草むらに寝ころんでは空を仰ぎ流れる雲を眺めながら、「いったい私は、ここで何をしているのだろう。なぜここいるのだろう」。そんな思いにとらわれた。
編集長を夢みた文芸春秋を退社し、未婚のまま欧州旅行の帰りの船上で第2子を出産。その後、子供たちの父親がベトナム行きの貨物船の船長となり、“夫人”としての船上暮らしもつかの間、彼が船主とけんかをしてベトナムの港で船を降ろされてしまう。
「こうなったら今度は私が働く番。ジャーナリストのはしくれだったんだから従軍記者になろう」。大見えを切ったものの特派員のように大手を振って従軍記者ができるわけがなかった。ある日、サイゴン(現ホーチミン)の街を歩いていた桐島はハンドバッグをひったくられた。旅券の再発行に駆けずり回った役所でわいろが横行していることに気づき、アメリカ製のたばこやウイスキーを持参する手口でベトナム政府の記者証を入手。
晴れて従軍記者となった桐島は、前線基地のダナンやドンハに暮らしながら、米軍が侵攻した南北ベトナムの国境線に沿って設けられた非武装地帯に踏み込んだ。救急テントで、手足をもぎ取られ死のふちにある兵士たちを看護する従軍看護師にくぎ付けになった。それは、男女の区別を超越し、なんの甘えも気負いもないプロフェッショナルの姿だった。
「どうだ格好いいだろう、とばかりに戦場のスリルとヒロイズムに高揚していた私の得意の鼻を、彼女たちの雄姿がへし折ってくれたの」
戦場の死は日常茶飯事だった。「前線の兵士は、20歳そこそこの人生の門口にたったばかりの貧しい田舎出身の若者が多くてね。兵役を終えたら奨学金で大学に進学するんだ、写真の彼女と結婚するんだと、熱く語っていた子が翌日には首をもぎ取られて死んでいくの」
「あんまり欲張ったら死んでいったあの若者たちに申し訳ない」。生き残った者の罪悪感「サバイバーズ・ギルト」が、その後の人生に深い影響を及ぼす。=敬称略(横山由紀子)

