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【わたしの失敗】作家・桐島洋子さん(70)(1)
■編集長の夢、妊娠で断念
「高卒の女の子が、すぐ記者になれるはずがなかったのよね」
幼いころから家にあった文芸春秋の愛読者で、「将来は編集長になりたい」と同社に入社した18歳の桐島洋子は、配属された営業の販売窓口で、山のような注文短冊の整理にうんざりしていた。薄暗い倉庫から数多くの本を運び出し、取次店に出荷する作業は相当な肉体労働だった。末席の女子社員として、お茶くみや掃除はもちろん、おびただしい封筒のあて名書きや受付での苦情対応…。
志望するジャーナリストの仕事とは程遠い毎日。「やっぱり大学に進んだ方がよかったのかな」と幾度も後悔したが、高校時代、さんざん悩んだ末に大学には進学しないことを決めていた。戦後の“斜陽家庭”で家計は苦しく、少しでも早く実社会で経験を積みたいと考えていた。
「最初は腐っちゃったけど、発想を大転換したの。私は大学の4年分を近道して会社という“奨学金”までもらえる“学校”に入学したんだと」
その後、社員句会で優勝するなど徐々に文才が認められた桐島は編集部に配属され、数年後に入社してきた大卒の同年代と机を並べた。「私は実社会で学んだ分、学歴のハンディを意識することはなかった」
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仕事も遊びも脂が乗ってきた20代半ば、あこがれていた編集部の次長が音頭を取って社内に結成されたダイビング同好会に参加。神奈川県真鶴町の海で、潜り疲れ甲羅干しをしていた桐島はふと、次長の姿が見えないことに気づく。仲間が捜したところ、次長は海底の岩場であおむけになって息絶えていた。
「それ以来、海好きだった私が海に近づけなくなってしまったの」。物憂い毎日を送っていたところ、電車内で初老のアメリカ人男性と出会う。ある日、海に誘われ、「このまま海を嫌いになりたくない」と、思い切って出かけると、海中の彼は別人のように若々しく、精悍(せいかん)だった。たちまち恋に落ちた相手は、二回り以上年上の米退役海軍中佐だった。
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やがて子供を身ごもった。しかし、彼はアメリカに離婚係争中の妻がおり結婚は不可能で、当時、結婚したら女子社員は退社するのが会社の決まり。そこで「未婚のまま産むのがちょうどいい」と開き直った。
妊娠8カ月まで服装や立ち居振る舞いに工夫を凝らしてひた隠し、急性腎炎と称して会社を休んだ。27歳のとき、海辺の隠れ家で長女・かれんを出産し、1週間後には人に託して仕事に復帰。「隠し子の存在はいつかばれるだろう。それまでに時間を稼いで、編集部でなくてはならない有能な記者になれば認めてもらえるかもしれない」。格闘の日々だった。
ところが翌年には2人目の妊娠。海外渡航が自由化されたころで欧州旅行の帰路、当時医療費が無料だった船上出産を思いつく。見聞を広げる目的で一度は認められた旅行休暇願が直前、「2週間ならともかく2カ月は無理」と却下された。
しかし、おなかはどんどん膨張していく。未婚の母なんてとんでもない時代。「もう隠し通せない」。進退窮まった桐島は、会社に辞表を出した。=敬称略(文 横山由紀子)
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【プロフィル】桐島洋子
きりしま・ようこ 昭和12年、東京生まれ。31年に都立駒場高校を卒業後、文芸春秋に入社。9年間勤務した後、フリーライターとして海外を放浪。42年、ベトナム戦争の従軍記者となり、47年にはアメリカ社会の深層をえぐった「淋しいアメリカ人」で第3回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。長女・かれん(モデル)、二女・ノエル(エッセイスト)、長男・ローランド(写真家)の子育てを卒業した50歳からカナダに暮らす。「聡明な女は料理がうまい」など著書多数。

