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【断 大月隆寛】「ココロ」を持ち出し過ぎ
このニュースのトピックス:沢尻エリカ
あっちでもこっちでも「ココロのモンダイ」ですか、そうですか。
安倍前総理以下、横綱朝青龍、「かわいがり」の元時津風親方に沢尻エリカ、そしてあの亀田一家まで、みんな同じその手口を繰り出すようになったようで。
われらニッポン人が「ココロ」を今みたいに意識するようになったのはおおむね明治も後半、「心理」なんて新しい言葉も生まれ、自分なんてものをうっかり意識するようになっちまって以降のこと。もちろん、それまでだってニンゲンですから“思い”や“気持ち”はあったにせよ、でも、そんな「腹の中」を今みたいにやたらひけらかそうとはしなかった。思えばタフではあったんですな、みんな。
そういう意味で近頃、この「ココロのケア」とか、それ系のもの言いを持ち出し過ぎ、ってことは、以前からあたしゃ指摘してます。心は正しく自分のもの、だからとりあえず自分で何とかしようとするしかないのが基本なわけで、まずは最も身近な関係の中でことばを介して安定させてゆくのが作法。で、そうやって学びながら身のまわりに、ひいては世間に、そんな「自分」をうまくなだめて制御しながら提示するスキルを身につけてゆく。そんなニンゲンがひとまず「大人」だったわけで、難儀な「ココロ」なんてものを持っちまった自分なんて、そうやって輪郭整えて抑え込んでゆかないことには、世間は自意識の野放し垂れ流しになっちまう。
本質的な問題は、そういう風に自分をゆっくり整形してゆく関係も、ことばも持ちにくくなってる、ということでしょう。でも、だからといって、とにかく「ココロ」を問題にしとけばとりあえずそれ以上は追及されないですむ、という、何かゲームの防御アイテムみたいな持ち回られ方はやはり釈然としません。(民俗学者)