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【わたしの失敗】政治評論家・三宅久之(77)(4)
■独立後、仕事なく職安へ
「当時、評論家になればバラ色の未来があるとばかり思っていた」。46歳の時、三宅は毎日新聞社を退社した。かねてから評論家として独立しようという気持ちを持っていたが、現場を離れ管理職になったことがその気持ちを後押しした。
ところが、いざ評論家としてスタートを切ったが、肝心の仕事がさっぱりなかった。
「仕事がなかったのはほんと参っちゃってね」。3人の子供を抱え、収入を得るため、妻が自宅を改造して下宿を始めようと言い出した。
恥ずかしさのあまり、帽子をかぶりサングラスを掛けて変装して、失業保険受給のため職安を訪れたこともあった。「今考えるとばかみたいな話だけれども…。この時は辞めるのを早まったかなと後悔もした。しかし、女房が下宿をやるっていうのに亭主がウロウロもできず、我とわが身にむち打ってね」と笑う。
多くの人の支えもあった。退職時に政治家や知人にあいさつ状を送付したが、最初に返事をくれたのが元首相の中曽根康弘だった。当時は、それほど親しい仲ではなかったが、今日に至るまで付き合いが続いている。
ライバル関係だった他紙の記者が激励会を開いてくれたり、講演の仕事などを紹介してくれた。「苦しいときの人の助けがありがたかった。そうして1年がたつころ、なんとかやれそうだと思えてきた」
評論家として32年目を迎えた。週2本のテレビ番組にレギュラー出演するほか、年間100回もの講演をこなす。カレンダーにはスケジュールがびっしり書き込まれている。歯に衣(きぬ)着せぬ発言も三宅の人気の一つだが、「放送禁止用語をしょっちゅう使うんだけれども録画だから致命的な問題にはなっていない」。
一方で、「失敗も多かったが、後悔しなかったのは政治家にならなかったこと」だという。
親しい政治家からも随分勧められたが、その気は全くなかった。「政治家として成功した人は別として、挫折経験もいっぱい見たからね。落選して、家族もみなそのために犠牲になって身をかがめて生きていかなければならない部分もあるでしょう」。常に政界の機微を見つめ続けてきた人は、朗らかに大きく笑った。=敬称略(文 池田祥子)
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次回は現代美術家、村上隆さんです。