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シドニー五輪(1)「ミレニアムの重さ」 (3/3ページ)
しかし、アボリジニとの和解には至っていない。サラダボウルと評されるように、移民それぞれが個性を発揮してはいるものの、それらを融和させるドレッシングが見つからない。五輪がその役目を果たしてほしい。期待感はシドニーの街中に充満していた。
聖火リレーは、白人社会ではエアーズロックと呼ばれてきたアボリジニの聖地ウルルを国内出発地点に定めた。第1走者は、アボリジニ出身でアトランタ五輪の女子ホッケー金メダリスト、ノバ・ペリス・ニーボン。痛いほどの思いだ。
一方で、この国は立憲君主国から共和国への移行を模索していた。1999年11月に行われた共和国移行の国民投票。共和制支持者の先頭には20世紀最高の女性スイマー、ドーン・フレーザーの姿もあった。新世紀に向けて、この国は確かにもがいていた。
結局、共和制移行は否決され、国家元首が行う五輪の開会宣言は、エリザベス英女王の権限執行者たるウイリアム・ディーン総督が務めることになった。
それでも、2000年9月15日の開会式。アトラクションで「オーストラリアの夢」と題して不器用なまでに「民族の共生」をうたいあげ、聖火の最終点火者としてアボリジニ出身の女子陸上選手、キャシー・フリーマンが大観衆の前に立ったとき、私は改めて、歴史に「もし」は必要ないことを得心した。
■南北合同行進■ 当時のIOC加盟は200カ国・地域。タリバンが実効支配するアフガニスタンは国連の承認がないため、参加は認められなかった。一方で国連統治下にあった東ティモールから個人資格の参加が認められた。参加は1万651選手。9月15日の開会式から10月1日の閉会式まで、28競技300種目に力を競った。
開会式では韓国と北朝鮮が韓国・鄭銀順選手とパク・チョンチョル・コーチが掲げる「統一旗」を先頭に合同行進した。両国から90人ずつ。揃いのユニホームは韓国側が用意した。
合同行進は、2000年6月に実現した韓国の金大中大統領と北朝鮮の金正日総書記による南北首脳会談に前後してサマランチIOC会長が提案。韓国の金雲龍IOC理事が交渉役となってまとめあげた。分裂国家の合同行進は、冷戦下の東西ドイツが1956年コルティナダンペッツオ冬季五輪から64年東京五輪まで統一チームで参加して以来だった。
ちなみに、オーストラリアは2000年5月、北朝鮮と25年ぶりに国交を回復しており、シドニー五輪での合同行進実現にひと役かった形だ。=敬称略(現編集局編集総務 佐野慎輔)


























