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【温故地震】都司嘉宣 元禄地震(1703年)(上) (1/2ページ)
■江戸の震度を絵図面から探る
大正12年(1923)の関東震災は、相模湾から房総沖に伸びる相模トラフの南側から北上してくるフィリピン海プレートと、その上を覆う北米プレートの境界面のすべりによって生じた巨大地震で、マグニチュード(M)は7・9と見積もられている。
このタイプの地震は、約200年あまりの間隔で起きているとされ、その1つ前は、元禄16年11月23日(西暦1703年12月31日)未明の元禄地震であった。
発生原因が同じだけに、この2つの地震には共通性が見られる。震度分布や、房総半島と三浦半島の先端部が隆起したこと、鎌倉・熱海をはじめとする関東地方の海岸各地に大きな津波被害が出たことなどである。
ただし、房総半島先端部の隆起が大正関東震災では約1・5メートルだったのに対し、元禄地震では約5メートル。また九十九里をはじめ房総半島での津波被害は元禄地震のほうが圧倒的に大きかった。これらのことから元禄地震の規模は、大正関東震災を上回るM8・2と見積もられている。
将来、元禄地震や関東震災のような巨大地震が再来したら、首都圏、とくに東京中心部の震度はどうなるだろう?
大正関東震災の東京の街区別震度については鹿島建設の武村雅之氏らによって詳細が明らかにされている。
その220年前の元禄地震での江戸市中の被害については、江戸城周辺の馬場先門や日比谷門で番所が倒壊して死者がでたこと、隅田川東岸の本所の被害が大きかったこと、現在の中央区で町人の死者が発生したことなどが知られている。
しかし、これでは記録が足りない。詳細な震度分布を描くのは不可能かとあきらめかけていたところ、「文鳳堂雑纂・変災部五十五」という文献中に「大名屋敷、御旗本屋敷破損左の如し」という書き出しで始まる文章に行き着いた。
そこには「外長屋潰 鵜殿十郎左衛門、塀損 本宅半潰 蜂屋主斗、門塀潰 大沢主膳、練塀崩 中山主馬、長屋居宅共損 三枝日向守」−−というふうに、武家屋敷ごとに被害が克明に記録されている。