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【さらば革命的世代】第3部(8)実行犯が語る37年目の連合赤軍 植垣康博さん (1/4ページ)
このニュースのトピックス:さらば革命的世代
スナック「バロン」
静岡市役所近くの小さな雑居ビルにスナック「バロン」はあった。スキンヘッドの店主、植垣康博さん(60)は37年前の連合赤軍事件で、12人が殺害されたリンチ事件にかかわり、懲役20年の実刑判決を受けた。出所したのは平成10年10月。バロンは当時の彼のあだ名だ。取材について、「私は事件から逃げることはできませんから」と言い、半生を語り始めた。
子供のころは鉱物や天文が好きな理系少年。鉱山の多い東北の土地柄にひかれて昭和42年、弘前大学理学部に入った。京大大学院への進学希望があったが、「物理学は核や原子力に協力してもよいのか」と全共闘に加わった。
弘前大全共闘には「機動戦士ガンダム」のキャラクターデザインなどで知られる漫画家、安彦良和さん(61)もいた。このころまで植垣さんらは一般的なノンセクト活動家だった。
理系の知識をかわれて「爆弾をつくってほしい」と頼まれたのが赤軍派とかかわるきっかけだった。「僕なんかマルクスもろくに知らない。むしろ右翼的な発想で『義を見てせざるは勇なきなり』という思いがあった」。上京して参加したデモで逮捕。拘置所で赤軍派の文書を読むうちに「これからはゲリラ戦」と考えるようになった。
1年2カ月の獄中生活を経て、45年12月に保釈された。腹を決めて赤軍派兵士として、銀行を襲撃して闘争資金を調達する「M作戦」などに加わった。
グアムで保護された元日本兵の横井庄一さんが「恥ずかしながら帰って参りました」と語ったのは47年2月。連赤事件はちょうどそのころ、46年末から翌年2月の出来事になる。
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